2013年05月27日
13年目の「アートでたんぼ」終了
13年目の「アートでたんぼ」。
今年のサブタイトルは「たんぼは、アートのトランスレーター」というもの。
主催者で百姓アーティストの河野さんの持論。
生産現場のたんぼに生産性とは全く無関係のアート作品や歌や踊りを持ってくる必要がある!
昔は田植え唄や、この辺りでは田植えの打ち上げ的な「半夏」の手打ちうどん、秋の収穫の時には神社で祭りがあり、その夜は夜這いなどもあったそう。
そういう伝統文化を復活させることも意義があるけど、河野さんのスタイルはあくまでも現代アート。
生産一辺倒で、お先真っ暗の人間の幼稚なテクノロジー崇拝から、サステイナブル(永続的)でオルタナティブ(代替えの新しい価値観)な社会とは?
その答えの片鱗がココにある。
広いたんぼの作品の合間で子どもたちはよく遊ぶ。
河野さんの作品をどかせてキックベースをしてた。
たんぼの脇は満濃池に次ぐ大きさの岩瀬池があり、ボートツアーが出る。
廃材の屋台。
今回はピザとスムージー屋。
河野さんは百姓とアーティストと並行して籾すり業も営む。
そこで出るクダケ(クズ米)を精製して米粉に加工してる。
その米粉で野遊が団子屋を開いた。
現地で錬って、茹でる。
出来たての団子に黒ゴマ、みたらし、甘酒ココア餡の3種類で出してた。
廃材や屋台の奥には高知、宮崎と県外からの自給自足系の出店者。
ウチは13年連続で出てる。
最初の年は小さな窯を作って窯焚きをした。
3、4年目ぐらいにイベントの前日に小さなピザ窯を即席で作って、当日焼いた。
その後、固定式のピザ窯を割りとちゃんと作った。
ロクに屋根も作ってなかった(竹でやってた)ので、数年でダメになった。
で、ここ3、4年は移動式の窯を運んで来てる。
このイベントがフェスやレイブ、山水人(やまうと)のような祭り系と違う所。
主催者が自分の先祖代々のたんぼで個人的にやってて、スタッフは地元のおっちゃん(60~70代)達。
準備段階から何度か足を運ぶと、田舎社会の縮図が見えてくる。
前回の日記で「田舎暮らしとは毒を喰らわば皿までもの精神で挑め」と書いた。
その毒とは地域社会の持つドロドロとした人間関係。
それは全国どこに行っても似たようなもの。
そこに目を背けて、空気がいいとか環境がいいとかいう憧れだけで田舎での生活は出来ない。
自然界の毒とはマムシを焼酎に漬けて薬になるように、利用の仕方によってはかえって恩恵を受けられる
しかし、都会の象徴でもある、比較、競争、消費という毒は全く異質だ。
田舎で悪態をつき合いがらトムとジェリーのように暮らすのが農耕民族の誇りとも言えるのだ。
まさに、河野さんのたんぼの周りで毎日行われてるように。
たんぼで作業するという事はそういう近所付き合いをダイレクトに迫られる。
タダで廃材をもらうのもそう。
タダより高いものはない!
これはレッキとした事実。
しかし、ウチのような左ウチワの廃材生活を実現しようとするならば、それを真に受けるな。
「タダならいくら労力かかろうが、望むところだ!」という姿勢だぞ!!!
今年のサブタイトルは「たんぼは、アートのトランスレーター」というもの。
主催者で百姓アーティストの河野さんの持論。
生産現場のたんぼに生産性とは全く無関係のアート作品や歌や踊りを持ってくる必要がある!
昔は田植え唄や、この辺りでは田植えの打ち上げ的な「半夏」の手打ちうどん、秋の収穫の時には神社で祭りがあり、その夜は夜這いなどもあったそう。
そういう伝統文化を復活させることも意義があるけど、河野さんのスタイルはあくまでも現代アート。
生産一辺倒で、お先真っ暗の人間の幼稚なテクノロジー崇拝から、サステイナブル(永続的)でオルタナティブ(代替えの新しい価値観)な社会とは?
その答えの片鱗がココにある。
広いたんぼの作品の合間で子どもたちはよく遊ぶ。
河野さんの作品をどかせてキックベースをしてた。
たんぼの脇は満濃池に次ぐ大きさの岩瀬池があり、ボートツアーが出る。
廃材の屋台。
今回はピザとスムージー屋。
河野さんは百姓とアーティストと並行して籾すり業も営む。
そこで出るクダケ(クズ米)を精製して米粉に加工してる。
その米粉で野遊が団子屋を開いた。
現地で錬って、茹でる。
出来たての団子に黒ゴマ、みたらし、甘酒ココア餡の3種類で出してた。
廃材や屋台の奥には高知、宮崎と県外からの自給自足系の出店者。
ウチは13年連続で出てる。
最初の年は小さな窯を作って窯焚きをした。
3、4年目ぐらいにイベントの前日に小さなピザ窯を即席で作って、当日焼いた。
その後、固定式のピザ窯を割りとちゃんと作った。
ロクに屋根も作ってなかった(竹でやってた)ので、数年でダメになった。
で、ここ3、4年は移動式の窯を運んで来てる。
このイベントがフェスやレイブ、山水人(やまうと)のような祭り系と違う所。
主催者が自分の先祖代々のたんぼで個人的にやってて、スタッフは地元のおっちゃん(60~70代)達。
準備段階から何度か足を運ぶと、田舎社会の縮図が見えてくる。
前回の日記で「田舎暮らしとは毒を喰らわば皿までもの精神で挑め」と書いた。
その毒とは地域社会の持つドロドロとした人間関係。
それは全国どこに行っても似たようなもの。
そこに目を背けて、空気がいいとか環境がいいとかいう憧れだけで田舎での生活は出来ない。
自然界の毒とはマムシを焼酎に漬けて薬になるように、利用の仕方によってはかえって恩恵を受けられる
しかし、都会の象徴でもある、比較、競争、消費という毒は全く異質だ。
田舎で悪態をつき合いがらトムとジェリーのように暮らすのが農耕民族の誇りとも言えるのだ。
まさに、河野さんのたんぼの周りで毎日行われてるように。
たんぼで作業するという事はそういう近所付き合いをダイレクトに迫られる。
タダで廃材をもらうのもそう。
タダより高いものはない!
これはレッキとした事実。
しかし、ウチのような左ウチワの廃材生活を実現しようとするならば、それを真に受けるな。
「タダならいくら労力かかろうが、望むところだ!」という姿勢だぞ!!!
Posted by 陣 at 10:14│Comments(2)
│イベント
この記事へのコメント
最近から「生活困窮者やニート、引きこもりの人たちが経済的に自立し、再び社会に参加できるように支援を行う」という目的を掲げた、国が行う仕事に携わっています。
わたしは、2年ほど前から秋山さんのブログを拝見させて頂いており、自給自足、セルフビルド、といった生活を自らも確立できないかともがいてきました。ただ、私の場合のきっかけは、社会と関わりたくない、人と関わりたくないという不順?な動機からで、ブログに出会った当時は人との付き合いもなく引きこもっていました。偶然、自然農法を営んでいる師匠との出会いに恵まれたことで、昨年6月より田舎の師匠宅に通いこみプチ自給自足生活を始めましたが、その生活をするようになるとどうしても人や地域社会とのつながりが濃くなっていきました。本来ならば、引きこもりの私にとっては何よりも避けたいことです。しかし、なぜかそのつながりに嫌悪感を感じることが少なく、一年経った今は、不思議なことに都会での人とのつながりにも以前のような息苦しさを感じなくなってきました。
そうした経緯を経て、もともと医療・福祉系の仕事をしていたこともあり、先に書いたプロジェクトに携わる決心をしました。携わってみると、関係している福祉従事者は、「経済的自立、社会参加」イコール、「企業に勤めてサラリーを得る」という一方向での視点で考えがちであるという特色に気がつきました。そして、その方向に偏りがちな支援が当たり前のように、何の疑問もなく行われていることに違和感を感じています。
人にとって、経済の自立とは何ぞや。社会参加とは何ぞや。
自分の強い信念を持って取り組まなければ、潰れるなという思いが深くなりつつあり、ここにたち返りました。。。といっても、毎日拝見していますが。
「経済的に自立し、再び社会に参加できるような」という、
文言を額面どおりにとれば、廃材天国的生活は、多くの補助金を使って国が取り戻そうとしている社会の選択肢の1つになり得るということを改めて心しました。
どんな人生を送りたいのか、それは各々の自由です。
ただ、自分の送りたい生活を、法律や社会ルールに外れない範囲で自分で作り出せるという力強さを持つということこそが、自己実現において必須であると思います。
長文な上、畑違いで、読みづらいコメントだと思いますが、感謝の気持ちをお伝えしたいのです。
教えて頂いて、ありがとうございます。
わたしは、2年ほど前から秋山さんのブログを拝見させて頂いており、自給自足、セルフビルド、といった生活を自らも確立できないかともがいてきました。ただ、私の場合のきっかけは、社会と関わりたくない、人と関わりたくないという不順?な動機からで、ブログに出会った当時は人との付き合いもなく引きこもっていました。偶然、自然農法を営んでいる師匠との出会いに恵まれたことで、昨年6月より田舎の師匠宅に通いこみプチ自給自足生活を始めましたが、その生活をするようになるとどうしても人や地域社会とのつながりが濃くなっていきました。本来ならば、引きこもりの私にとっては何よりも避けたいことです。しかし、なぜかそのつながりに嫌悪感を感じることが少なく、一年経った今は、不思議なことに都会での人とのつながりにも以前のような息苦しさを感じなくなってきました。
そうした経緯を経て、もともと医療・福祉系の仕事をしていたこともあり、先に書いたプロジェクトに携わる決心をしました。携わってみると、関係している福祉従事者は、「経済的自立、社会参加」イコール、「企業に勤めてサラリーを得る」という一方向での視点で考えがちであるという特色に気がつきました。そして、その方向に偏りがちな支援が当たり前のように、何の疑問もなく行われていることに違和感を感じています。
人にとって、経済の自立とは何ぞや。社会参加とは何ぞや。
自分の強い信念を持って取り組まなければ、潰れるなという思いが深くなりつつあり、ここにたち返りました。。。といっても、毎日拝見していますが。
「経済的に自立し、再び社会に参加できるような」という、
文言を額面どおりにとれば、廃材天国的生活は、多くの補助金を使って国が取り戻そうとしている社会の選択肢の1つになり得るということを改めて心しました。
どんな人生を送りたいのか、それは各々の自由です。
ただ、自分の送りたい生活を、法律や社会ルールに外れない範囲で自分で作り出せるという力強さを持つということこそが、自己実現において必須であると思います。
長文な上、畑違いで、読みづらいコメントだと思いますが、感謝の気持ちをお伝えしたいのです。
教えて頂いて、ありがとうございます。
Posted by ボロジナ at 2013年05月28日 16:16
ボロジナさん
このブログから触発されたり影響を受けて、自由な生き方を模索される方が居るというのはまさにこのブログの目的でもあります。
わざわざのご報告ありがとうございます。
このブログから触発されたり影響を受けて、自由な生き方を模索される方が居るというのはまさにこのブログの目的でもあります。
わざわざのご報告ありがとうございます。
Posted by 陣 at 2013年05月29日 08:52