2011年01月26日
今はノーンカイという街にいます
いやー!
お久しぶりーーー。
13日に香川を出てから、丁度2週間が過ぎました。
インターネットを利用できるカフェだのオフィスは各街にあったんやけど、こっちからの書き込みは初めてですなー。
14日の夜だけはバンコクのカオサン通りの近くのタナオ通りの裏路地のセントラルゲストハウスに泊まったよ。
もう、野遊が「カオサンだけは行きたくない!。」という程、白人の旅行者と、それを迎え撃つ商売人で汚い雰囲気と犬に参って、泣き出す始末。
翌日15日、バンコクの大きな動物園にみんなで行った後、夜行の鉄道で、東へ。
これが、2等の寝台を押さえようとしたけど、フルで二等のイス席に。
12、3時間かかる汽車なんで、キツイなーと思ってボックス席みたいなのに乗って、悠々と20バーツの辛くて美味しい弁当食べながらビール飲んでたら、実はそこは3等の席だったらしく、車掌さんに「ノーノー!」と言われて、また汗だくになって大きなザックを持って、本来の2等の席へ。
バンコクを出た夕方は暑かったけど、何しろ窓全開(閉めても段々開いて来るので誰も閉めない)で明け方まで走り通しなんで、関空まで着ていったフリースや上着を出しまくる羽目に。
16日、我慢大会級に寒い夜を越え、予定を2時間ばかし上回って、ウボンラチャタニーという街に着いた。
こっから、国境を越えて、パークセーというラオスの街に入る。
タイ→ラオスのボーダーはあっけなく、簡単な事務処理だけで通る。
早速、ラオスに入ると大きなバゲットを籠に入れておばちゃんが売りに来る。
この日は、駅で写真を撮ってたら、「撮りましょうかー?」と声をかけてくれたチョロちゃんという女の子で日本人の旅人と同じゲストハウスに宿をとった。
17日、チョロちゃんは大抵のゲストハウスがWIFI(無線LAN)完備なのを知ってて、小さなノートPC持参で来てて、色々調べてた。
早速、子どもたちには超魅惑の「象乗りトレッキング」の体験をした人のブログがヒット。
流れで、トゥクトゥクのおっちゃに象の村まで連れて行ってもらうことになった。
象はでかいけど、とてもおとなしくて、ビビリまくってた野遊もワクワク。
象はとても腹が減ってるようで、ウチらが乗ってても、田んぼの畦の草をちぎっては食べる。
しまいに、竹をベキベキへし折って、丸ごと食べてしまったのにはみんなびっくり。
18日、2日間泊まったパークセーのゲストハウスを出発して、シーパンドーンというメコン川の島に向かう。
このバスもかなりボロくて、閉めてるとエアコンが効かずに暑く、開けると砂埃というもの。
船着場からはまさに「渡し舟」といった細い舟で、デット島という島に渡る。
ここのゲストハウスは大抵バンガロー式で、子どもがうるさくするのを気にしなくてすむ。
家族で30000KIP(300円)で泊まれる。
19、20日とメコン川の砂浜で子どもたちは遊び放題。
チョロちゃんも近くのバンガローに泊まっててしょっちゅう遊びにくる。
島には子どもたちも多く、にこちゃんぐらいから中学生ぐらいまで、こどもだらけ。
野遊や土歩くんも段々慣れて、よく遊んでた。
以外と犬がフレンドリーで吠えたりしない。
よその犬をやたらと怖がる野遊も、川のなかに一緒に入って棒を投げたりして遊んでた。
狂犬病を心配したけど、大丈夫やった。
21日、自転車を借りて、滝を見に行けるというんで、チョロちゃんとみんなで滝ツアー。
僕はどうも、昼から暑い割りにビールが進まなかった、、、。
滝の近くのレストランは完全に炭と薪の調理。
注文してからご飯を蒸し始めるんで、1時間以上はかかる。
あっこちゃんは完全に手伝いモード。
滝から帰ると案の定、僕はベッドに倒れこんでしまう。
この日の夜中は相当熱でうなされた。
22日、熱は落ち着いたけど、完全に水下痢。
もちろん食欲ゼロ、自家製の梅肉エキスや梅干し、玄米コーヒーでの生活。
大体自分の中で、直る確信が来たんで翌日出発にした。
チョロちゃんはここからカンボジアに旅立った。
23日、5日間泊まった、デット島を出発。
この日は日中はパークセーを目指し、夕方からはスリーピングバスで北部のビエンチャンを目指す。
このバスが超狭くて、白人のおっちゃんとかは苦笑い。
ここへ来て、にこちゃんが吐いた。
土歩くんも頭が痛いと。
3人が病気に!
24日、ラオスの首都、ビエンチャン到着。
トミーの教えてくれた、ゲストハウスに泊まる。
ここではあっこちゃんと野遊以外は食欲がないんで、思い切って日本食レストランへ。
高い上に甘くて不味かったら嫌やなーと思いながらやったけど、以外と美味しくてみんな食べれた。
25日、ラオスはビザなしは2週間の滞在と決まってるんで、更に北部を目指す前にビエンチャン→ノーンカイ(タイ)に入ることにした。
これまたバスでの移動。
バンコクならメータータクシーで安く移動できるけど、小さい街にはトゥクトゥクしかなく、外人はボラれる。
地図で見て歩けそうならザックを背負って歩くことにした。
そのお陰か、この日の宿、今泊まってる「マット・ミー・ガーデン」は超ポイント高いゲストハウス。
280バーツで家族で泊まれて、さながら南国のリゾート。
今までのボロい安宿とはうって変わって、オシャレな雰囲気。
ヨガやレイキのクラスが毎日あるし、セレクトブックショップでこのインターネットも無料。
バンコクなんか結構高いからね。
僕の体調がやっと本調子になってきたのもあるけど、ビールも飯も最高。
メコン川の魚の料理も美味しいし。
今回の旅では子どもたち中心に考えてるんで、僕はほぼ将棋やトランプのお相手。
何しろ、今日が初めてのPCやしね。
と、色々めまぐるしくも、みんな元気でやってるでーーー!
後はにこちゃんだけが、もひとつ。
にこちゃんの調子を見るためにここには今日も泊まって、2泊しようかな。
明日にはまたビエンチャンに戻り、バンビエンという北部の街を目指そう。
更にはルアンパバーンとか、そっから洞窟だとか、ラオスの焼酎作りの村や焼きものの村にも行きたいと考え中!!!
また帰ってから詳しい日記かくわなー。
ちゃんと、ノートにはつぶさに書きつけとるからね。
お久しぶりーーー。
13日に香川を出てから、丁度2週間が過ぎました。
インターネットを利用できるカフェだのオフィスは各街にあったんやけど、こっちからの書き込みは初めてですなー。
14日の夜だけはバンコクのカオサン通りの近くのタナオ通りの裏路地のセントラルゲストハウスに泊まったよ。
もう、野遊が「カオサンだけは行きたくない!。」という程、白人の旅行者と、それを迎え撃つ商売人で汚い雰囲気と犬に参って、泣き出す始末。
翌日15日、バンコクの大きな動物園にみんなで行った後、夜行の鉄道で、東へ。
これが、2等の寝台を押さえようとしたけど、フルで二等のイス席に。
12、3時間かかる汽車なんで、キツイなーと思ってボックス席みたいなのに乗って、悠々と20バーツの辛くて美味しい弁当食べながらビール飲んでたら、実はそこは3等の席だったらしく、車掌さんに「ノーノー!」と言われて、また汗だくになって大きなザックを持って、本来の2等の席へ。
バンコクを出た夕方は暑かったけど、何しろ窓全開(閉めても段々開いて来るので誰も閉めない)で明け方まで走り通しなんで、関空まで着ていったフリースや上着を出しまくる羽目に。
16日、我慢大会級に寒い夜を越え、予定を2時間ばかし上回って、ウボンラチャタニーという街に着いた。
こっから、国境を越えて、パークセーというラオスの街に入る。
タイ→ラオスのボーダーはあっけなく、簡単な事務処理だけで通る。
早速、ラオスに入ると大きなバゲットを籠に入れておばちゃんが売りに来る。
この日は、駅で写真を撮ってたら、「撮りましょうかー?」と声をかけてくれたチョロちゃんという女の子で日本人の旅人と同じゲストハウスに宿をとった。
17日、チョロちゃんは大抵のゲストハウスがWIFI(無線LAN)完備なのを知ってて、小さなノートPC持参で来てて、色々調べてた。
早速、子どもたちには超魅惑の「象乗りトレッキング」の体験をした人のブログがヒット。
流れで、トゥクトゥクのおっちゃに象の村まで連れて行ってもらうことになった。
象はでかいけど、とてもおとなしくて、ビビリまくってた野遊もワクワク。
象はとても腹が減ってるようで、ウチらが乗ってても、田んぼの畦の草をちぎっては食べる。
しまいに、竹をベキベキへし折って、丸ごと食べてしまったのにはみんなびっくり。
18日、2日間泊まったパークセーのゲストハウスを出発して、シーパンドーンというメコン川の島に向かう。
このバスもかなりボロくて、閉めてるとエアコンが効かずに暑く、開けると砂埃というもの。
船着場からはまさに「渡し舟」といった細い舟で、デット島という島に渡る。
ここのゲストハウスは大抵バンガロー式で、子どもがうるさくするのを気にしなくてすむ。
家族で30000KIP(300円)で泊まれる。
19、20日とメコン川の砂浜で子どもたちは遊び放題。
チョロちゃんも近くのバンガローに泊まっててしょっちゅう遊びにくる。
島には子どもたちも多く、にこちゃんぐらいから中学生ぐらいまで、こどもだらけ。
野遊や土歩くんも段々慣れて、よく遊んでた。
以外と犬がフレンドリーで吠えたりしない。
よその犬をやたらと怖がる野遊も、川のなかに一緒に入って棒を投げたりして遊んでた。
狂犬病を心配したけど、大丈夫やった。
21日、自転車を借りて、滝を見に行けるというんで、チョロちゃんとみんなで滝ツアー。
僕はどうも、昼から暑い割りにビールが進まなかった、、、。
滝の近くのレストランは完全に炭と薪の調理。
注文してからご飯を蒸し始めるんで、1時間以上はかかる。
あっこちゃんは完全に手伝いモード。
滝から帰ると案の定、僕はベッドに倒れこんでしまう。
この日の夜中は相当熱でうなされた。
22日、熱は落ち着いたけど、完全に水下痢。
もちろん食欲ゼロ、自家製の梅肉エキスや梅干し、玄米コーヒーでの生活。
大体自分の中で、直る確信が来たんで翌日出発にした。
チョロちゃんはここからカンボジアに旅立った。
23日、5日間泊まった、デット島を出発。
この日は日中はパークセーを目指し、夕方からはスリーピングバスで北部のビエンチャンを目指す。
このバスが超狭くて、白人のおっちゃんとかは苦笑い。
ここへ来て、にこちゃんが吐いた。
土歩くんも頭が痛いと。
3人が病気に!
24日、ラオスの首都、ビエンチャン到着。
トミーの教えてくれた、ゲストハウスに泊まる。
ここではあっこちゃんと野遊以外は食欲がないんで、思い切って日本食レストランへ。
高い上に甘くて不味かったら嫌やなーと思いながらやったけど、以外と美味しくてみんな食べれた。
25日、ラオスはビザなしは2週間の滞在と決まってるんで、更に北部を目指す前にビエンチャン→ノーンカイ(タイ)に入ることにした。
これまたバスでの移動。
バンコクならメータータクシーで安く移動できるけど、小さい街にはトゥクトゥクしかなく、外人はボラれる。
地図で見て歩けそうならザックを背負って歩くことにした。
そのお陰か、この日の宿、今泊まってる「マット・ミー・ガーデン」は超ポイント高いゲストハウス。
280バーツで家族で泊まれて、さながら南国のリゾート。
今までのボロい安宿とはうって変わって、オシャレな雰囲気。
ヨガやレイキのクラスが毎日あるし、セレクトブックショップでこのインターネットも無料。
バンコクなんか結構高いからね。
僕の体調がやっと本調子になってきたのもあるけど、ビールも飯も最高。
メコン川の魚の料理も美味しいし。
今回の旅では子どもたち中心に考えてるんで、僕はほぼ将棋やトランプのお相手。
何しろ、今日が初めてのPCやしね。
と、色々めまぐるしくも、みんな元気でやってるでーーー!
後はにこちゃんだけが、もひとつ。
にこちゃんの調子を見るためにここには今日も泊まって、2泊しようかな。
明日にはまたビエンチャンに戻り、バンビエンという北部の街を目指そう。
更にはルアンパバーンとか、そっから洞窟だとか、ラオスの焼酎作りの村や焼きものの村にも行きたいと考え中!!!
また帰ってから詳しい日記かくわなー。
ちゃんと、ノートにはつぶさに書きつけとるからね。
2011年01月13日
行ってきますーーー!
今日の昼頃、丸亀駅→高松駅とJRで行ってから、関空に一発で行ってくれるバスに乗る。
このバスは便利やね。
で、夜中に出発。
早朝にバンコク着。
その日の夜は、先日来てくれた「はるや」のハルさんが国際電話で予約してくれたセンチュリーゲストハウスを目指す。
空いてたら泊まれるとの事だったんで、それって予約って言わんのちゃうかなー、と思ったけど、まあ安宿やからしょうがない。
カオサン通りと交差するタナオ通りの外れにあって、カオサンよりは静かやし、この辺りの安宿の中では広い部屋があるということで彼らも何度も利用してるそう。
家族5人で一泊200バーツ。
今、1バーツ2、8円やから、560円。
さすがに家族でドミトリー(大部屋)には泊まりにくいんで、こういう部屋を旅の間は探して泊まり歩く。
一泊数百円で、ご飯も一食一人数十円から食べられる。
もちろんバンコクは物価が高いんで、そこから東の田舎を目指して、ラオスに入ったら更に安くなる。
バンコクでも、家族5人が一日2000円もあれば十分いけるとハルさんも言うてた。
それはビールとかの嗜好品も入れて。
最小限なら1000円でいける。
まあ、別に貧乏旅行がしたい訳じゃないんで、そこまでしなくてもええけど。
どっちにしても明らかに、日本で部屋借りて、光熱費払って、毎日スーパーで買い物して生活すればこんな額では生活できない。
一人のバックパック旅行なら尚更やね。
今回は家族5人で、予定を決めずにタイからラオスを放浪すること自体が目的。
ラオスには少数民族が60とかあって、ラオス語以外にもモン語などもある。
ラオスの本は何冊か読んだり、ネットでも色々見てみた。
でも、そんな頭に入った知識はあくまで予備知識。
あんまし、頭でっかちになり過ぎても面白くない。
確実なのは日本みたいに東北でも九州でも、同じような店が並んで、同じような生活がある訳じゃない。
とにかくラオスは海に面してなく、輸出とかに不利で経済発展とは程遠い国。
街から外れて、村とかに行けば完全に自給自足の生活。
だから選んだ。
アジアの古き良き、伝統的な生活の残る国。
日本の江戸時代とまではいかないやろけど、そういうエッセンスを子ども達と共に味わう旅。
バンコクにはネットカフェもあって、この日記が更新できるかもしれんけど、日本語変換が出来たり出来なかったりだそう。
もちろんラオスにいけばネットとかないんちゃうかなー。
大きな街にはあるかもね。
まずはバンコクから東に鉄道で移動して、パクセーという街を目指す。
そこからメコン川に浮かぶ島に筏で渡って泊まったりできるそうな。
その後は北上して、首都のビエンチャン→バンビエン→ルアンパバーンという計画。
で、またビエンチャンまで帰って、国境を越えてタイに戻って、鉄道で南下してバンコクに帰る。
もちろん、パクセー周辺で色々やってるウチに日程が少なくなれば、北上しないかもしれんし、その辺りは全く分からない。
移動は鉄道とバスやからねー。
「バックパッカーズ読本」の新しい方に、「バックパッカーの旅は等身大のロールプレイングゲームだ。」とあったけど、ほんとにそう思う。
しかも、今回は家族で!
旅という一ヶ月間の生活。
古いアジアの生活。
もちろんその空気を味わったなら、廃材天国の生活にもフィードバックしようと思う。
益々、原始的になったりして、、、。
特に子ども達には、日本の当たり前が他の国では全然違うというのが体験できる所が大きいやろね。
では。
報告をお楽しみにー!
行ってきまーす!
いぇい、いぇーい!!!
このバスは便利やね。
で、夜中に出発。
早朝にバンコク着。
その日の夜は、先日来てくれた「はるや」のハルさんが国際電話で予約してくれたセンチュリーゲストハウスを目指す。
空いてたら泊まれるとの事だったんで、それって予約って言わんのちゃうかなー、と思ったけど、まあ安宿やからしょうがない。
カオサン通りと交差するタナオ通りの外れにあって、カオサンよりは静かやし、この辺りの安宿の中では広い部屋があるということで彼らも何度も利用してるそう。
家族5人で一泊200バーツ。
今、1バーツ2、8円やから、560円。
さすがに家族でドミトリー(大部屋)には泊まりにくいんで、こういう部屋を旅の間は探して泊まり歩く。
一泊数百円で、ご飯も一食一人数十円から食べられる。
もちろんバンコクは物価が高いんで、そこから東の田舎を目指して、ラオスに入ったら更に安くなる。
バンコクでも、家族5人が一日2000円もあれば十分いけるとハルさんも言うてた。
それはビールとかの嗜好品も入れて。
最小限なら1000円でいける。
まあ、別に貧乏旅行がしたい訳じゃないんで、そこまでしなくてもええけど。
どっちにしても明らかに、日本で部屋借りて、光熱費払って、毎日スーパーで買い物して生活すればこんな額では生活できない。
一人のバックパック旅行なら尚更やね。
今回は家族5人で、予定を決めずにタイからラオスを放浪すること自体が目的。
ラオスには少数民族が60とかあって、ラオス語以外にもモン語などもある。
ラオスの本は何冊か読んだり、ネットでも色々見てみた。
でも、そんな頭に入った知識はあくまで予備知識。
あんまし、頭でっかちになり過ぎても面白くない。
確実なのは日本みたいに東北でも九州でも、同じような店が並んで、同じような生活がある訳じゃない。
とにかくラオスは海に面してなく、輸出とかに不利で経済発展とは程遠い国。
街から外れて、村とかに行けば完全に自給自足の生活。
だから選んだ。
アジアの古き良き、伝統的な生活の残る国。
日本の江戸時代とまではいかないやろけど、そういうエッセンスを子ども達と共に味わう旅。
バンコクにはネットカフェもあって、この日記が更新できるかもしれんけど、日本語変換が出来たり出来なかったりだそう。
もちろんラオスにいけばネットとかないんちゃうかなー。
大きな街にはあるかもね。
まずはバンコクから東に鉄道で移動して、パクセーという街を目指す。
そこからメコン川に浮かぶ島に筏で渡って泊まったりできるそうな。
その後は北上して、首都のビエンチャン→バンビエン→ルアンパバーンという計画。
で、またビエンチャンまで帰って、国境を越えてタイに戻って、鉄道で南下してバンコクに帰る。
もちろん、パクセー周辺で色々やってるウチに日程が少なくなれば、北上しないかもしれんし、その辺りは全く分からない。
移動は鉄道とバスやからねー。
「バックパッカーズ読本」の新しい方に、「バックパッカーの旅は等身大のロールプレイングゲームだ。」とあったけど、ほんとにそう思う。
しかも、今回は家族で!
旅という一ヶ月間の生活。
古いアジアの生活。
もちろんその空気を味わったなら、廃材天国の生活にもフィードバックしようと思う。
益々、原始的になったりして、、、。
特に子ども達には、日本の当たり前が他の国では全然違うというのが体験できる所が大きいやろね。
では。
報告をお楽しみにー!
行ってきまーす!
いぇい、いぇーい!!!
2011年01月11日
ラオスへのお土産
大体、ラオスへの旅の荷物のパッキングも出来てきた。
前回のタイへの旅でも、バンコク30℃→サンクラブリ外れの村の夜、4℃と異常気象に遭った。
向こうの建物はオシャレなレリーフが施され(10cmぐらいは幅のある)、超スカスカやった、、、。
当然、熱帯の夏仕様で行ってたんで一睡もできなかった。
なので、フリースを百円屋の衣類圧縮袋で圧縮して詰める。
にこちゃんがオシッコで起きた時用に、釣具屋でペチャンコになるビニールのバケツも買った。
はるやも向こうで買った洗面器でオシメの洗濯してたそう。

後、重要なのがコレら。
せんべいの袋には自家製のフリカケ、ひじきの袋には自家製カリカリ干し梅干し。
特に野遊は肉の入った脂っこいものやスパイスの効いたものはほぼ食べられない。
前回も、白ご飯に鰹節と醤油、海苔で随分助かった。
本葛はもし下痢をしたとき用。
一番いいのはリンゴと葛粉を煮詰めたものなんかがいい。
あっこちゃんは砂糖の替わりに自家製の米飴を入れてもらおうとも考えてる。

ビンのはビワエキス、これは万能薬やからねー。
シャンプーは普段から使わないんで、石鹸で洗った後、お酢でリンス。
これも薬、自家製梅肉エキス。

これは土歩くんの提案。
向こうで仲良くなった子にニコニコクッキーをプレゼントしようと。
かつて「かまどGOGO」のカヨちゃんにもらったのを覚えてて、よっぽど嬉しかったみたい。
おとといの夜遅くに生地を練って、寝かせてた。
ベーキングパウダーを使わずに天然酵母を入れて、長時間置いてた。
型抜きクッキーはこの作業が大変。
土歩くんはコツコツと根気がいい。

顔を描くのに野遊とにこちゃんも加わってみんなで。

完成。
ウチらとしてはナチュラルな甘味で美味しいんやけど、向こうの子ども達にはウケるか?
まあ、見た目の愛嬌でコラエテもらおう。
イヨイヨ、準備も大詰め。
いつもは鍵のない廃材天国やけど、以前出店から帰ると、お遍路のおっちゃんが勝手に入って、ラジオ聴きながら料理しようとしてた件もあるんで、インパクトで外から密封していこう。
薪でも使って、帰ってきたら灰材天国になっとってもいかんし、、、。
昨日の日記で土歩くんは行ってないと書いたら、今朝は新年最初の登校日で野遊もテンション高く、土歩くんも一緒に行く気になってる。
秋の遠足以来かな?
前回のタイへの旅でも、バンコク30℃→サンクラブリ外れの村の夜、4℃と異常気象に遭った。
向こうの建物はオシャレなレリーフが施され(10cmぐらいは幅のある)、超スカスカやった、、、。
当然、熱帯の夏仕様で行ってたんで一睡もできなかった。
なので、フリースを百円屋の衣類圧縮袋で圧縮して詰める。
にこちゃんがオシッコで起きた時用に、釣具屋でペチャンコになるビニールのバケツも買った。
はるやも向こうで買った洗面器でオシメの洗濯してたそう。
後、重要なのがコレら。
せんべいの袋には自家製のフリカケ、ひじきの袋には自家製カリカリ干し梅干し。
特に野遊は肉の入った脂っこいものやスパイスの効いたものはほぼ食べられない。
前回も、白ご飯に鰹節と醤油、海苔で随分助かった。
本葛はもし下痢をしたとき用。
一番いいのはリンゴと葛粉を煮詰めたものなんかがいい。
あっこちゃんは砂糖の替わりに自家製の米飴を入れてもらおうとも考えてる。
ビンのはビワエキス、これは万能薬やからねー。
シャンプーは普段から使わないんで、石鹸で洗った後、お酢でリンス。
これも薬、自家製梅肉エキス。
これは土歩くんの提案。
向こうで仲良くなった子にニコニコクッキーをプレゼントしようと。
かつて「かまどGOGO」のカヨちゃんにもらったのを覚えてて、よっぽど嬉しかったみたい。
おとといの夜遅くに生地を練って、寝かせてた。
ベーキングパウダーを使わずに天然酵母を入れて、長時間置いてた。
型抜きクッキーはこの作業が大変。
土歩くんはコツコツと根気がいい。
顔を描くのに野遊とにこちゃんも加わってみんなで。
完成。
ウチらとしてはナチュラルな甘味で美味しいんやけど、向こうの子ども達にはウケるか?
まあ、見た目の愛嬌でコラエテもらおう。
イヨイヨ、準備も大詰め。
いつもは鍵のない廃材天国やけど、以前出店から帰ると、お遍路のおっちゃんが勝手に入って、ラジオ聴きながら料理しようとしてた件もあるんで、インパクトで外から密封していこう。
薪でも使って、帰ってきたら灰材天国になっとってもいかんし、、、。
昨日の日記で土歩くんは行ってないと書いたら、今朝は新年最初の登校日で野遊もテンション高く、土歩くんも一緒に行く気になってる。
秋の遠足以来かな?
2011年01月10日
ホームスクーリング
昨日の日記はゴチャゴチャとして、はるやの事があまり書けなかったんで、、、。
http://haruyanahibi.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-5928.html
これははるやのゆみえさんの廃材天国訪問の日記です。
初めて彼らと出会ったのは、タイの西部ミャンマーとの国境に近いサンクラブリーという町。
その町のはずれにある「バントーファン」という孤児院で。
2週間ぐらいの滞在やったかな。
今は舞鶴に越したザ・ファミリーのみんなと出会ったのもココ。
はるやもザ・ファミリーも「田舎暮らし」、「自給自足」、「自宅出産」、「ホームスクーリング」、、、というライフスタイルのキーワードが似てる同士。
しかも、子連れバックパッカーでの海外旅行の先輩でもある。
去年は初めて廃材天国へ寄ってくれて、今年は2回目。
昨日の日記にも書いた、タイ、ラオスへの旅の指導に来てくれた。
僕らがおととし訪ねた、京都と県境の滋賀のはるやの古民家から引越しして、今は更に滋賀の山中の生活。
何でも、ブログでホームスクーリングのことを書いてると、それを読んだ近所の人が大家さんに「あんな家族に家を貸すのはどうか。」という問題に進展して、彼らは潔く借りてた家を引き払って、今は公営の住宅に仮住まいしてる。
でも、その引っ越した先は限界集落と呼ばれる過疎の村で、Iターンで田舎暮らしを求めて入った人が多い所でラッキーだったそう。
それまでホームスクーラーだった上の二人は全校生徒が一桁という学校に通い始めたそうな。
しかも同級生はIターンの子ども達なので、自然食や自宅出産などの価値感も似てて、すんごく暮らし安くて気に入ってるとか。
ウチの野遊は3年生の秋までホームスクーリングしてて、突然毎日行きだした。
1年生の最初の一週間ぐらいと、遠足と運動会だけは毎回行ってた。
で、3年生の秋の運動会にも出たくて、それからは一日も休まずに毎日行ってる。
土歩くんは1年生の最初の一週間だけ行って、今はホームスクーリング。
そもそも「ホームスクーリング」って何?
家が学校?
学校には行ってないけど、家で勉強を教えること?
不登校とどう違うの?
こういう問題って、公の見解はパシッとはない。
行きたくない子どもを強制的に、行け行けと行かせて、マジに精神的に病んで行けなくなるのが不登校やと思う。
そういう意味では「窓際のとっとちゃん」で有名な黒柳徹子やエジソンなんかはホームスクーリングやったとも思う。
要は親が子どもの事を学校に行こうが行かまいが「認める」こと。
もちろん、親の思想で無理やり行かせないのもオカシイと思う。
でも中々「行ってもいいし、行かなくてもいいし。」という「自由」ってのを子どもに選択させるのは難しい。
子どもにとって親という存在は一番大きいけど、やはり6、7、8歳と年を重ねてくると、親戚や近所などの大人や同級生という「社会」を意識し始める。
たまたま野遊が行きだしたんで分かったけど、出来るだけ「強制」しなかったらこうして普通に行くようにもなるんやー!とびっくりしたぐらい。
「自然に産みたい」などの著書で有名な橋本ちあきさんの所の5人の子ども達も、しばらく行ってから行かなく子、小学校は行かなかったけど中学校から行くようになる子と色々だったそう。
こんだけ不登校、いじめ、自殺、鬱、引きこもり、ニートなどが社会問題として認識されてる時代。
今までの「義務教育やから絶対に行かないといけない。」とか「親に行かせる義務がある。」という正論は通用しない。
そういう杓子定規な押し付けこそが「問題」なのだ。
その問題が表面に出てくる時に、不登校や引きこもりという「現象」になる。
それは糖尿病やガンのような「病気」も同じ。
起こった問題である、現象にばかり目を向けてもまず解決はしない。
僕は親として、子どもに教育をする義務がある。
これは憲法でそうなってるからというだけじゃなく、当たり前のこと。
大人が子どもに教える。
年長者が若者に教える。
これは太古も未来も同じやと思う。
もちろん、僕は責任を持って「教育」を日々実践している。
今は学校には行っていない土歩くんやにこちゃんも同様。
こういう話は「それでどういう大人になったのか?」という所にフォーカスされる。
それには、橋本ちあきさんの本を読むなり、ザ・ファミリー(3人のうち2人が成人)や先日来てたひかるくんの兄弟(4人のうち2人が成人)のような、ホームスクーリングを経て大人になった実例を聞くのが一番手っ取り早い。
よく事件を起した子どもが「成績もよく、そういう事をするようには見えなかった。」とか、自殺をした子に「昨日まではいつもと同じ様子だった。」という報道がある。
それはあまりにも、親なり、周りの大人がその子の内面に目を向けていないかを象徴してる。
返せば、いつも死にたいぐらいの気持ちで何かを我慢しながらの生活だったのかもしれない。
そう考えれば、本当にいたたまれない。
ともあれ、子どもにとって何が幸せなのか?
大人にとっても同じ、どういう生活が幸せなのか?
具体的にイメージしないといけない。
忙しいし、大量に流されるメディアからの情報。
一体何を信じればいいのか?
今の社会にはその指針はない。
言葉には出来ないがDNAなり、人間の感覚の中には確実にある。
いくら社会がオカシクなろうと、それは決してなくならない。
自分の心の中にある素朴な「何でやろ?」という引っ掛かり。
ハッキリと説明できなくとも、それこそが鍵になる大事な感覚。
僕ら大人だって、強制させられるのは嫌やもんね。
間違いなく幸せの定義の中に「自由」というキーワードは入るよね。
じゃあ、不自由で理不尽なこの現実の中でどうすればいいんや!とも思う。
それは日常の生活の中でのありとあらゆる選択肢の中に来る「???」な引っ掛かりを減らしていくことやと思う。
自分の感覚にフィットした生活が幸せなんやと思う。
子どもたちと僕ら大人が一緒に学びあいながら生きていく。
それがホームスクーリングやと思う。
もちろん土歩くんもにこちゃんも学校に行きたくなる日は必ず来る。
その自由な感覚を潰しさえしなければ。
と、自画自賛ばかりじゃなく、客観的にウチのライフスタイルを俯瞰しながら考えていかんとね。
http://haruyanahibi.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-5928.html
これははるやのゆみえさんの廃材天国訪問の日記です。
初めて彼らと出会ったのは、タイの西部ミャンマーとの国境に近いサンクラブリーという町。
その町のはずれにある「バントーファン」という孤児院で。
2週間ぐらいの滞在やったかな。
今は舞鶴に越したザ・ファミリーのみんなと出会ったのもココ。
はるやもザ・ファミリーも「田舎暮らし」、「自給自足」、「自宅出産」、「ホームスクーリング」、、、というライフスタイルのキーワードが似てる同士。
しかも、子連れバックパッカーでの海外旅行の先輩でもある。
去年は初めて廃材天国へ寄ってくれて、今年は2回目。
昨日の日記にも書いた、タイ、ラオスへの旅の指導に来てくれた。
僕らがおととし訪ねた、京都と県境の滋賀のはるやの古民家から引越しして、今は更に滋賀の山中の生活。
何でも、ブログでホームスクーリングのことを書いてると、それを読んだ近所の人が大家さんに「あんな家族に家を貸すのはどうか。」という問題に進展して、彼らは潔く借りてた家を引き払って、今は公営の住宅に仮住まいしてる。
でも、その引っ越した先は限界集落と呼ばれる過疎の村で、Iターンで田舎暮らしを求めて入った人が多い所でラッキーだったそう。
それまでホームスクーラーだった上の二人は全校生徒が一桁という学校に通い始めたそうな。
しかも同級生はIターンの子ども達なので、自然食や自宅出産などの価値感も似てて、すんごく暮らし安くて気に入ってるとか。
ウチの野遊は3年生の秋までホームスクーリングしてて、突然毎日行きだした。
1年生の最初の一週間ぐらいと、遠足と運動会だけは毎回行ってた。
で、3年生の秋の運動会にも出たくて、それからは一日も休まずに毎日行ってる。
土歩くんは1年生の最初の一週間だけ行って、今はホームスクーリング。
そもそも「ホームスクーリング」って何?
家が学校?
学校には行ってないけど、家で勉強を教えること?
不登校とどう違うの?
こういう問題って、公の見解はパシッとはない。
行きたくない子どもを強制的に、行け行けと行かせて、マジに精神的に病んで行けなくなるのが不登校やと思う。
そういう意味では「窓際のとっとちゃん」で有名な黒柳徹子やエジソンなんかはホームスクーリングやったとも思う。
要は親が子どもの事を学校に行こうが行かまいが「認める」こと。
もちろん、親の思想で無理やり行かせないのもオカシイと思う。
でも中々「行ってもいいし、行かなくてもいいし。」という「自由」ってのを子どもに選択させるのは難しい。
子どもにとって親という存在は一番大きいけど、やはり6、7、8歳と年を重ねてくると、親戚や近所などの大人や同級生という「社会」を意識し始める。
たまたま野遊が行きだしたんで分かったけど、出来るだけ「強制」しなかったらこうして普通に行くようにもなるんやー!とびっくりしたぐらい。
「自然に産みたい」などの著書で有名な橋本ちあきさんの所の5人の子ども達も、しばらく行ってから行かなく子、小学校は行かなかったけど中学校から行くようになる子と色々だったそう。
こんだけ不登校、いじめ、自殺、鬱、引きこもり、ニートなどが社会問題として認識されてる時代。
今までの「義務教育やから絶対に行かないといけない。」とか「親に行かせる義務がある。」という正論は通用しない。
そういう杓子定規な押し付けこそが「問題」なのだ。
その問題が表面に出てくる時に、不登校や引きこもりという「現象」になる。
それは糖尿病やガンのような「病気」も同じ。
起こった問題である、現象にばかり目を向けてもまず解決はしない。
僕は親として、子どもに教育をする義務がある。
これは憲法でそうなってるからというだけじゃなく、当たり前のこと。
大人が子どもに教える。
年長者が若者に教える。
これは太古も未来も同じやと思う。
もちろん、僕は責任を持って「教育」を日々実践している。
今は学校には行っていない土歩くんやにこちゃんも同様。
こういう話は「それでどういう大人になったのか?」という所にフォーカスされる。
それには、橋本ちあきさんの本を読むなり、ザ・ファミリー(3人のうち2人が成人)や先日来てたひかるくんの兄弟(4人のうち2人が成人)のような、ホームスクーリングを経て大人になった実例を聞くのが一番手っ取り早い。
よく事件を起した子どもが「成績もよく、そういう事をするようには見えなかった。」とか、自殺をした子に「昨日まではいつもと同じ様子だった。」という報道がある。
それはあまりにも、親なり、周りの大人がその子の内面に目を向けていないかを象徴してる。
返せば、いつも死にたいぐらいの気持ちで何かを我慢しながらの生活だったのかもしれない。
そう考えれば、本当にいたたまれない。
ともあれ、子どもにとって何が幸せなのか?
大人にとっても同じ、どういう生活が幸せなのか?
具体的にイメージしないといけない。
忙しいし、大量に流されるメディアからの情報。
一体何を信じればいいのか?
今の社会にはその指針はない。
言葉には出来ないがDNAなり、人間の感覚の中には確実にある。
いくら社会がオカシクなろうと、それは決してなくならない。
自分の心の中にある素朴な「何でやろ?」という引っ掛かり。
ハッキリと説明できなくとも、それこそが鍵になる大事な感覚。
僕ら大人だって、強制させられるのは嫌やもんね。
間違いなく幸せの定義の中に「自由」というキーワードは入るよね。
じゃあ、不自由で理不尽なこの現実の中でどうすればいいんや!とも思う。
それは日常の生活の中でのありとあらゆる選択肢の中に来る「???」な引っ掛かりを減らしていくことやと思う。
自分の感覚にフィットした生活が幸せなんやと思う。
子どもたちと僕ら大人が一緒に学びあいながら生きていく。
それがホームスクーリングやと思う。
もちろん土歩くんもにこちゃんも学校に行きたくなる日は必ず来る。
その自由な感覚を潰しさえしなければ。
と、自画自賛ばかりじゃなく、客観的にウチのライフスタイルを俯瞰しながら考えていかんとね。
2011年01月09日
最大16人の大所帯に!
7日は廃材天国、超大所帯に。
ユウコちゃんに加え、かつて少林寺の専門学校へ通ってたひかるくんも来た。
ひかるくんは少林寺の新年の稽古に来るために泊めて欲しいと言ってきてた。
折角来るなら思いっきり作業モードで来てねとお願いしてた。
こんだけ、人が来るのを「大変やろー。」とよく言われるけど、もちろん大変。
大変というマイナスはある。
あるからこそ「思いっきり作業モード」で来てもらうことで、「あー、来てくれて良かったー。」とプラスになる。
なので、人は来れば来る程いいんである。
それと、今年からは長期の子を「居候」という呼び方を改めて「弟子」という存在で来る子しか受け入れない。
ユウコちゃんとアンコちゃんの時から、FAXやメール、電話で軽い面接をするようにもした。

ひかるくんとは、秋山家の果樹園に実生で生えてるクスノキを移植する作業。
二階の工房の東に一本。

もう一本は新しい軒の側へ。
クスノキはデカクなるんでここが木陰になるぐらいになると嬉しい。

ユウコちゃんは二階の工房の未完成の壁にビニールを張る作業。
午後からは「劇団どくんご」の健太さんも今年の打ち合わせに訪れて、ひかるくんと3人体制。
この部分はゴザだけをしょうたくんが張ってくれたまんまでスカスカ。
お陰で、暮に市の税務課の職員が固定資産税の為の測量に来た時には、この二階部分は未完成ということで、対象外になった。
来年測りに来たらこの部分も払うかな。

まずビニールで隙間を塞ぐ。
で、このままビニールが見えてたらイマイチなんで、もう一回ゴザを張って完成。
まず隙間が無くなり、一応二重なんで多少は断熱もあるやろ。
普通は壁面用にも防水シートがあるけど、廃材天国でそんなのは使わない。
この「材料は廃材」というコンセプトに随分助けられてる。
いくらセルフビルドでも材料を買ったら高くつくもの。
タダで手に入る素材をいかに工夫するかが醍醐味。

3人体制になったんで、夕方までには完成した。
午後からは九州の実家に帰省してた、はるやファミリーがタイ、ラオスの旅の指導に来てくれた。
作業は3人に任せて、僕はハルさんとゆみえさんの体験談を教授してもらう。
全然決めずに、という旅は一人旅なら通用するけど、ちび3人を連れては大変なことも多かったと。
英語の堪能なハルさんが国際電話で、バンコクの以前利用したゲストハウスに直接電話してくれた。
日本でホテルを予約するようなんじゃないんで、確実性は低いそうやけど、一応子ども3人連れて5人で一部屋取ってもらった。
ラオスに向かう鉄道の時間や料金なんかもハルさんがネットで調べてくれたり、何とYOU TUBEに二等寝台の映像もあったりして盛り上がった。
漠然としてた旅の全体像が、わずかでもアウトラインが見えてきたという感じ。
何か具体的になってきて、余計不安になることも多いけど、、、。

はるやの3兄弟とウチの3人とは昼間は外で野球やサッカー、暗くなってからも、廃材の家の中でターザンごっこや登ったり超ハイテンション。

しょっちゅう、だれかが泣いてみたり、大騒ぎ。

大人はどくんごの健太さんの予定である打ち合わせ。
今年は玉井さんや十河さんも、受け入れのスタッフになってくれて心強い。
やはり10月半ばの土日で、今年は手作り市も2日連続にしようかというアイデアも出た。

はるやのちびっ子もうちの子らも一年前から随分成長したねー。
このぐらいの年の子どもは一年で見違えるね。
はるやも今年には土地を決めて、新しい家の構想を具体的に入るそう。
向こうはラオスの旅を羨ましがってたけど、僕は新しい家を作れるのが羨ましい。
廃材天国も随分出来てしまって、細かいバージョンアップしかできないんで、また一から作るのには超ワクワクするよね。
次の廃材ハウスパート3は、やっぱり山に作りたいね!!!
ユウコちゃんに加え、かつて少林寺の専門学校へ通ってたひかるくんも来た。
ひかるくんは少林寺の新年の稽古に来るために泊めて欲しいと言ってきてた。
折角来るなら思いっきり作業モードで来てねとお願いしてた。
こんだけ、人が来るのを「大変やろー。」とよく言われるけど、もちろん大変。
大変というマイナスはある。
あるからこそ「思いっきり作業モード」で来てもらうことで、「あー、来てくれて良かったー。」とプラスになる。
なので、人は来れば来る程いいんである。
それと、今年からは長期の子を「居候」という呼び方を改めて「弟子」という存在で来る子しか受け入れない。
ユウコちゃんとアンコちゃんの時から、FAXやメール、電話で軽い面接をするようにもした。
ひかるくんとは、秋山家の果樹園に実生で生えてるクスノキを移植する作業。
二階の工房の東に一本。
もう一本は新しい軒の側へ。
クスノキはデカクなるんでここが木陰になるぐらいになると嬉しい。
ユウコちゃんは二階の工房の未完成の壁にビニールを張る作業。
午後からは「劇団どくんご」の健太さんも今年の打ち合わせに訪れて、ひかるくんと3人体制。
この部分はゴザだけをしょうたくんが張ってくれたまんまでスカスカ。
お陰で、暮に市の税務課の職員が固定資産税の為の測量に来た時には、この二階部分は未完成ということで、対象外になった。
来年測りに来たらこの部分も払うかな。
まずビニールで隙間を塞ぐ。
で、このままビニールが見えてたらイマイチなんで、もう一回ゴザを張って完成。
まず隙間が無くなり、一応二重なんで多少は断熱もあるやろ。
普通は壁面用にも防水シートがあるけど、廃材天国でそんなのは使わない。
この「材料は廃材」というコンセプトに随分助けられてる。
いくらセルフビルドでも材料を買ったら高くつくもの。
タダで手に入る素材をいかに工夫するかが醍醐味。
3人体制になったんで、夕方までには完成した。
午後からは九州の実家に帰省してた、はるやファミリーがタイ、ラオスの旅の指導に来てくれた。
作業は3人に任せて、僕はハルさんとゆみえさんの体験談を教授してもらう。
全然決めずに、という旅は一人旅なら通用するけど、ちび3人を連れては大変なことも多かったと。
英語の堪能なハルさんが国際電話で、バンコクの以前利用したゲストハウスに直接電話してくれた。
日本でホテルを予約するようなんじゃないんで、確実性は低いそうやけど、一応子ども3人連れて5人で一部屋取ってもらった。
ラオスに向かう鉄道の時間や料金なんかもハルさんがネットで調べてくれたり、何とYOU TUBEに二等寝台の映像もあったりして盛り上がった。
漠然としてた旅の全体像が、わずかでもアウトラインが見えてきたという感じ。
何か具体的になってきて、余計不安になることも多いけど、、、。
はるやの3兄弟とウチの3人とは昼間は外で野球やサッカー、暗くなってからも、廃材の家の中でターザンごっこや登ったり超ハイテンション。
しょっちゅう、だれかが泣いてみたり、大騒ぎ。
大人はどくんごの健太さんの予定である打ち合わせ。
今年は玉井さんや十河さんも、受け入れのスタッフになってくれて心強い。
やはり10月半ばの土日で、今年は手作り市も2日連続にしようかというアイデアも出た。
はるやのちびっ子もうちの子らも一年前から随分成長したねー。
このぐらいの年の子どもは一年で見違えるね。
はるやも今年には土地を決めて、新しい家の構想を具体的に入るそう。
向こうはラオスの旅を羨ましがってたけど、僕は新しい家を作れるのが羨ましい。
廃材天国も随分出来てしまって、細かいバージョンアップしかできないんで、また一から作るのには超ワクワクするよね。
次の廃材ハウスパート3は、やっぱり山に作りたいね!!!
2011年01月07日
いよいよ椎茸菌の打ち込み
一ヶ月前ぐらいに切ってきてたクヌギの丸太。
こうして乾燥させてた。
左の菌が一般的やけど、右のは早くできるとか。
もちろん左の方が安いんで、右のはちょっとだけ。
早いか遅いは木の太さと菌を打ち込む数による。
この打ち込んだコマの中の椎茸菌が木に蔓延すると、椎茸が出てくる。
椎茸専用のキリのビットも数種類あって、今回は2種類使った。
そんなに木の数がないんで、子ども達は競って打ち込む。
元井戸掘りの三脚が滑り台になってたのを椎茸小屋にした。
雨は当たるんでOK.
直射日光が当たりすぎるんで、大工さんにもらってた養生シートで覆う。
これは一枚目
3重ぐらいにせんといかんやろな。
椎茸菌の箱には春まではシートを被せるとも書いてあるけど、イキナリこうして立てかけてても構わない。
とにかく、椎茸菌が蔓延するのが目的なんで、ジメジメし過ぎてカビとかがきたらダメ。
一軒目の廃材ハウスの時には栽培してたけど、久しぶりの椎茸栽培。
いやー、楽しみーー。
出るときは文字通りニョキニョキすんごいペースで出るからね。
オクラも採るのに忙しいけど、そんなもんじゃない。
そんでも、このぐらいの木の数じゃあ、干し椎茸を作る余裕はないやろね。
生の採りたてを炭火で焙って、ポン酢で一杯か~。
超楽しみ~~~!!!
タイ、ラオス行きの準備もだいぶ進んできた。
昨日は高松の本屋でコレを見つけた。
以前丸亀の図書館で借りてたやつの最新版で、2010年に出たばかり。
前のは2003年に出てる。
今回のはネットを駆使した新しい情報が多い。
LCC(ローカルコストキャリア)とかの飛行機は機内食もなくて超安いとか、マニアックな情報が満載。
LCCは次回のテーマとしても、急いで読まなーーー。
タグ :椎茸
2011年01月06日
帰ってきた弟子
昨日、八王子に帰省してたユウコちゃんが帰ってきた。
車で。
車で来る弟子も少ないけど、この間来てたチーくんが南米に旅立って、車が空いたんで借りたそう。
ETCがあれば東京からでも安く来れるもんね。
僕とあっこちゃんはコツコツとラオス行きの準備。
いつもは行かない100円屋で化粧品を小分けするボトルを買ったり。
これはマイ醤油や自家製フリカケなどの調味料を持っていくため。
安物買いの銭失いということで100円屋は行かないけど、こういう時には便利やね。
100円屋だけじゃなく、ホームセンターからイオンのモールと廃材天国は至近距離に何でもあってめっちゃ便利。
久々にビンディングを装備したメッセンジャーバイクで、アチコチ回った。
僕は何でも用意周到に事前に準備するタイプじゃない。
あっこちゃんは超マメにノートに色々書き込んだり、着る物から小物までチョコマカと準備してる。
PCの中に入りっぱなしの写真もプリンターでプリントして、100円屋のアルバムに入れた。
ラオス語やモン語は通じなくても、廃材の家を自分で建ててる様子や井戸掘ってる様子、薪で生活してる様子などなど、見せて伝えるために200枚ぐらいプリントした。
今回の旅は何も決めずに、と思ってたけど、やっぱりラオスの事を本で読み、ネットで調べるうちに色々行きたい所も出てきた。
9年間タイとカンボジアに住んでたトミーにもメールで色々教えてもらったし。
ネパールに家族で行った「はるや」は本まで出版してて、最近また読み直したり。
彼らの日記では子ども達が油とスパイスで腹をこわして苦労した話とか、ボロいバスは床に穴が開いててちびっ子のゾウリが落ちたとか、、、。
僕らの性格的に、ボロいバスや安宿や市場に通ったりと同じような経験をすることになるだろうと、覚悟めいたワクワク感を楽しんでる。
後、一週間やからねー。
とにかく荷物を少なくすることに全力を尽くさんとね。
車で。
車で来る弟子も少ないけど、この間来てたチーくんが南米に旅立って、車が空いたんで借りたそう。
ETCがあれば東京からでも安く来れるもんね。
僕とあっこちゃんはコツコツとラオス行きの準備。
いつもは行かない100円屋で化粧品を小分けするボトルを買ったり。
これはマイ醤油や自家製フリカケなどの調味料を持っていくため。
安物買いの銭失いということで100円屋は行かないけど、こういう時には便利やね。
100円屋だけじゃなく、ホームセンターからイオンのモールと廃材天国は至近距離に何でもあってめっちゃ便利。
久々にビンディングを装備したメッセンジャーバイクで、アチコチ回った。
僕は何でも用意周到に事前に準備するタイプじゃない。
あっこちゃんは超マメにノートに色々書き込んだり、着る物から小物までチョコマカと準備してる。
PCの中に入りっぱなしの写真もプリンターでプリントして、100円屋のアルバムに入れた。
ラオス語やモン語は通じなくても、廃材の家を自分で建ててる様子や井戸掘ってる様子、薪で生活してる様子などなど、見せて伝えるために200枚ぐらいプリントした。
今回の旅は何も決めずに、と思ってたけど、やっぱりラオスの事を本で読み、ネットで調べるうちに色々行きたい所も出てきた。
9年間タイとカンボジアに住んでたトミーにもメールで色々教えてもらったし。
ネパールに家族で行った「はるや」は本まで出版してて、最近また読み直したり。
彼らの日記では子ども達が油とスパイスで腹をこわして苦労した話とか、ボロいバスは床に穴が開いててちびっ子のゾウリが落ちたとか、、、。
僕らの性格的に、ボロいバスや安宿や市場に通ったりと同じような経験をすることになるだろうと、覚悟めいたワクワク感を楽しんでる。
後、一週間やからねー。
とにかく荷物を少なくすることに全力を尽くさんとね。
2011年01月04日
あけましておめでとうございます!
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
素敵な一年がスタートしたねー。
ワクワクやねー。

実家でのおせち料理作りの様子。
4世代で手作りは楽しかったよ。

数の子が頂き物であった以外は精進おせち。
高野の人参挟みは美しい。
カボチャの伊達巻も中々。
椎茸のアワビもどきも美味しかった。
美しいだけじゃなく、ちゃんと美味しくないとね。
砂糖なしで作る煮物はコツが要るけど、慣れればうまくいくもの。
1、2日と恒例の備前のあっこちゃんの実家に帰省。
向こうの4人兄姉妹が集まった。

これも毎年恒例の、野遊の従兄弟たちの要望で、耐火煉瓦の再生材の工場へ。
かなり厚い氷が張ってて、丸亀では味わえない氷遊び。

それと、これも恒例
耐火煉瓦に混じって、炉内で溶けたガラス質のキレイな部分を探す。

こういうキレイな「廃材パワーストーン」がたまに見つかる。

ここでかつて、陶芸の窯を開業するときに「棚板」を中古で買った。
新品やと一枚一万円とかやからね。
これはバラバラやけど、たまにいいのが入る。
2日には備前焼きの陶芸の弟子時代にお世話になった兄弟子の妹尾さん所に、ピザ窯の構造の話にいった。
アホー庵のヨシキさんとユミさんも来て楽しい再会になった。
地球村の活動時代のすみれさんの「すみれのお宿」繋がりがここまで繋がるのも嬉しい限り。
そやけど、アレやね。
親戚で集まっても、中々この自画自賛日記のように「いよいよ今年は楽しみですなー!」とか言う話題にはなりにくい。
実際サラリーマンは居なくて、自営業ばっかしなんで、厳しい所もあるしね。
まあ、世の中が調子いいときに儲かるのは当たり前。
こういう時代にこそ、経営センスに生き方が反映される。
少なくとも、社会主義が崩壊したように、僕らの生きてるうちに資本主義も崩壊することは明らか。
で、その次のオルタナティブ社会の指針を早めに持てるかどうか?
そこに尽きる。
益々、国家もお金も頼りにできない年になっていく。
くれぐれも今年だけではないし、2012年にアルマゲドンで悲劇の結末とはならんからねー。
これから。
ここからやでー。
廃材天国でも、更にエネルギーや食の自給と本気の仲間作りを加速させていくで!
素敵な一年がスタートしたねー。
ワクワクやねー。
実家でのおせち料理作りの様子。
4世代で手作りは楽しかったよ。
数の子が頂き物であった以外は精進おせち。
高野の人参挟みは美しい。
カボチャの伊達巻も中々。
椎茸のアワビもどきも美味しかった。
美しいだけじゃなく、ちゃんと美味しくないとね。
砂糖なしで作る煮物はコツが要るけど、慣れればうまくいくもの。
1、2日と恒例の備前のあっこちゃんの実家に帰省。
向こうの4人兄姉妹が集まった。
これも毎年恒例の、野遊の従兄弟たちの要望で、耐火煉瓦の再生材の工場へ。
かなり厚い氷が張ってて、丸亀では味わえない氷遊び。
それと、これも恒例
耐火煉瓦に混じって、炉内で溶けたガラス質のキレイな部分を探す。
こういうキレイな「廃材パワーストーン」がたまに見つかる。
ここでかつて、陶芸の窯を開業するときに「棚板」を中古で買った。
新品やと一枚一万円とかやからね。
これはバラバラやけど、たまにいいのが入る。
2日には備前焼きの陶芸の弟子時代にお世話になった兄弟子の妹尾さん所に、ピザ窯の構造の話にいった。
アホー庵のヨシキさんとユミさんも来て楽しい再会になった。
地球村の活動時代のすみれさんの「すみれのお宿」繋がりがここまで繋がるのも嬉しい限り。
そやけど、アレやね。
親戚で集まっても、中々この自画自賛日記のように「いよいよ今年は楽しみですなー!」とか言う話題にはなりにくい。
実際サラリーマンは居なくて、自営業ばっかしなんで、厳しい所もあるしね。
まあ、世の中が調子いいときに儲かるのは当たり前。
こういう時代にこそ、経営センスに生き方が反映される。
少なくとも、社会主義が崩壊したように、僕らの生きてるうちに資本主義も崩壊することは明らか。
で、その次のオルタナティブ社会の指針を早めに持てるかどうか?
そこに尽きる。
益々、国家もお金も頼りにできない年になっていく。
くれぐれも今年だけではないし、2012年にアルマゲドンで悲劇の結末とはならんからねー。
これから。
ここからやでー。
廃材天国でも、更にエネルギーや食の自給と本気の仲間作りを加速させていくで!
タグ :お正月