廃材天国HP

2009年05月30日

陶芸は深いねー

3日間キッチリ陶芸家に戻り、菊練り、ロクロに座り、弟子の頃に手作りした道具で仕上げ。
一応注文の「お花の入る箸置き」200個達成目前に漕ぎつけたけど、200個焼いて完成させる為には250~300個は作っとかんとね。
窯の中はアメージングなんで、全部うまく焼ける時もあればそうでない展開もザラ。
特に今回は納期の決まったキチンとした仕事なんで念には念をね。

同じ形のモノを大量に製作することは滅多にないんで、最初は土と相談しながら必死に定規を当てて四苦八苦。
特に湯のみぐらいのサイズ以上だと「玉引き」と言って、250gとか300gと粘土を計って玉にして一個づつ引くので大きさを揃えやすい。
でも、今回みたいに小さいものは「棒引き」という大きな塊の粘土をロクロの上に置き、上で小さな作品を作っては切り取っていく方法。
もちろん備前の職人だと、棒引きで、湯のみも徳利もジャンジャン引く。
湯のみで一日4、500個が普通。
もちろん翌日に削りがあるんで一日200~250個。
僕にはそこまでの技術がないんで、棒引きで同じサイズに合わせるのは大変。
でも面白いのは感覚を掴んでくると最初一時間かかって10個だったのが、30、40とペースが上がってくる。
100個を超えた辺りからほとんど定規も確認の為に当てる感じ。
人間の感覚は正確で、5㎜も違ってると一目で分かる。

ここで言いたいのは職人の技術が凄いんじゃなく、毎日やってりゃ誰でも技術はついて来るってこと。
車の運転が誰でも出来るように、ロクロも毎日やってりゃ誰でも出来るんよ。

陶芸なんか毎日やってる層が少ないんで、陶芸家ごときが「先生」とか呼ばれる有様。
大体先生とか呼ばれる職種にロクなものはないね。
弁護士、医者、政治家と共通点は「権威」。
国家が認証する資格を持ってるだけでお金と権力を思いのままにする。
でも弁護士でも中坊公平氏、医者では安保徹氏、政治家では小川淳也氏のように現役でありながら現状に憂いてオルタナティブな価値観を持ち自分の生き方を貫く人は少なくない。
そもそも陶芸とか政治とか医療とかのジャンルそのものに問題はない。
そこに関わる「人」、もっと言えばそこに関わる「自分」がどう捉えるか。
僕は弟子に入り、備前焼きという巨大なピラミッドを中から見て「マジで~~~!?」とその愚かさと止まれないお金の流れに気がついた時、これはどのジャンルの仕事にもある今の社会の投影やなと理解した。

その頃出合った、アウトロー陶芸家の小向さんやネットワーク「地球村」の講演会などが僕の疑問を確信にさせてくれた。
金と権力を支える事実を知ってしまった。
どう考えてもバカバカしくて笑ってしまうようなこと、子どもが考えても分かるような愚かな事をいい大人がお金の為だけにやってる。
で、僕の選択は備前焼の組織から離れて経済的リスクはあっても自由を選んだ。
もちろん○○展などの公募展にも出品しない。
その展覧会で賞をもらうには先生と呼ばれる権力者に媚びないとけない。
という事実がある。

関係者のみなさんごめんねー。
これは、いい悪いじゃないし、備前焼の悪口でも人間国宝の先生の否定でもない。
間違いなく僕も備前焼の伝統の恩恵を受けて、今作陶できてる訳やから。
そういう現実を知って自分がどう判断するか?
そこに尽きるんちゃう?
「自分」を構築エネルギーは大変やし、いわゆる既存の恩恵にあやかれる楽さと言うたらないもんね。
事実を知る事がこの上なく重要やけど、事実は隠蔽されてるという現実もあるしね。

結局自分がどうしたいか。
僕は陶芸を辞めずに自分の見た世界で仕事を続けながら事実を伝えていこう。

と、かっこよく言うてみたけど、毎日自分の作ったおいしいもん食べてお酒呑んで遊んでるようなもんやからねー。
陶芸を出来る平和な国で生活出来るのもありがたいねーーー。







  
タグ :陶芸ロクロ

Posted by 陣 at 05:23Comments(1)焼き締めの陶芸